日常と非日常 2018

日常と非日常の話題をお話しします。

 

<引用> 東京新聞・発言(読者投稿のページ) 2018.6.2 小林勝

広野町で祭り 笑顔戻る 大原学さんの投稿(2018.6.1)

 

JR常磐線の広野駅に降り立った時、(中略)~

お祭りは「非日常」だ。しかし今回はその意味合いが違った。日常があるからこそ非日常がある。

日常があることの大切さを身を持って感じた。~(後略)

 <詳細は、東京新聞 2018.6.1を ご覧ください。>

 

<引用> 讀賣新聞 編集手帳(2018.5.31) 2018.5.31 小林勝

 

寓話 ぐうわ のなかの神様はときとして涼しい顔をして、人を陥れよう おとしいれよう とする。「金の斧 銀の斧」がそうだろう◆鉄の斧を川に落した木こりは金銀の斧を神に見せられ、首を横に振る。良心を試されたのは言うまでもないが、この際である。試されたと思えばどうだろう。日大アメフト部の学生(20)である。良心があふれ出た場面は多くの人の心に留まっていよう◆一つに反則で退場になった直後、テントで一人涙した姿がある。自ら過ちに気づいた。金銀はもらえずとも、自分の斧を返してもらう資格はある。再び前を向き、一度は青春をかけた競技に帰ってもらいたい◆関東学生アメフト連盟は彼に期限・条件付きで復帰を認めた。他方、前監督と前コーチは除名処分に。事実上の永久追放という。監督が選手の誰かを酷評し精神的に追い込んで鍛える―いわば「いじめ」に近い指導が常態化していたことも明らかにされた。監督は神のごときで、歯向かうものは排除されたとも◆たしか横暴ゆえ世界を壊しそうになり、追放された神の物語が何かの寓話にあった。調べてもいいが、教訓を得るためなら現実で十分すぎる。